2015年07月30日

東芝の不正会計、粉飾決算

東芝粉飾決算

1.東芝(以下、メーカ名敬称略)が不適切会計処理でとうとう歴代社長三人が辞任し、さらに現職の取締役を含め、8名の幹部が辞任したが本日(29日)、さらに1名が辞任した。
2.この事件は義にかられた社員による内部告発で利益の水増しが表面化したものであります。この社員には特別報奨金を上げたい。私も、このような社員になりたかったし、現役時代は、上司には遠慮なく自分の意見を言ってきた。
3.会計ではついうっかり計算を間違えることや会計処理手続きの勘違いというミスは珍しくない。
こういう場合、会計処理が不適切であったと言う。
しかし、東芝の場合はミスでなく、社長の圧力のもとに意図的に利益の水増しを行ったのである。これは不適切な会計処理ではなく、まさに組織ぐるみの犯罪であり、粉飾決算であります。
4.マスコミもマスコミで、何故か粉飾という表現を避けているのも許したくない。ホリエモンはわずか数億円(水増ししたので20億円くらいになったか?)で刑務所送りであった。彼は今頃、どう思っているであろうか?
5.この東芝幹部連中こそ、監獄に送り込むだけでなく、私有財産も没収して、会社の損に少しでも手当てすべきであります。22日未明、保有する海外企業の株式を約1180億円で売却したと発表した。東芝が今回、売却したのは子会社の東芝エレベータが保有していた昇降機の世界大手、フィンランドのコネ社の株式。発行済み株式の4.6%を保有していたが、すべて売却した。東芝は連結ベースで税引き前の売却益が約1130億円に達する見込みとしている。

すでに米国で株主訴訟が起こっていますが、日本の株主も、損害賠償を訴えるべきであります。
6.ご承知のように、利益を上げますと、その利益に法人税がかかります。つまり、東芝は余分に税金を支払っていたのです。
同じ粉飾決算でも利益隠しはまだ動機が単純であります。しかし税金や配当金を払ってまで行う利益の水増しは単なる金銭欲とは言えません。経営者自身の薄汚れた名誉欲のなせる悪行であります。自分自身の保身と己の面子を守るためのあさましい我欲の結果に過ぎない。本当に許しがたい悪人であります。
7.私は現役時代同業者として東芝には友人も多い。その他、日立栃木、三洋東大阪(確か淀川工場?)松下冷機藤沢、東大阪などにも友人がいる。皆すばらしい技術屋で日本の業界を牽引していました。東芝富士工場も立派な理論を持っていた友人も多い。しかし経営者がこんな態度であったとは、本当に気の毒でありました。現在は多くの有能な元東芝社員は韓国に行っています。残念であります。
たまたま、私も会社では管理職の一端を担うと共に子会社の役員を数年担当してから定年になりました。この取締役就任の時に、社長から”取締役に就任してもらうが、万が一にもコンプライアンス違反などが発覚して、その責任を問われたら、退職後でも、株主から君の私有財産の返還を要求される事もありうるので、その点、心してて職務を遂行するように”との御言葉を頂戴いたしました。
東芝とは大きな違いです。
先日、昔の会社の友人とゴルフをした時に、・・・・我々は東芝のような利益の上積みなどの不可能な指示は一度もなかったなあ・・・と言っていました。
今から思うと良い会社に就職していたものと感謝しています。

”人が仕事を拓き、仕事が人を作る” こんなわが社の社長の言葉が思い出されます・

いずれにしても、この東芝問題は今後注目していきたいと思います。
でも、大事な事で忘れてはならないことは、現在フラッシュメモリーの技術革新で、東芝四日市工場では社運をかけて、サムスンを追い越すためのプロジェクトが進行中であります。すでに技術的には追いつき、追い越した感があります。若い技術者のがんばりに応えるためにも、日本の半導体産業のためにも、し、負けられません。そういう意味で東芝を応援せざるを得ません。
本来なら、東京一部上場を取り消し本来の罪を清算して再出発して欲しい一方、この半導体産業だけは、特別扱いで、負けないで欲しい。もし負けたら、日本の未来は危ない。
”選択と集中”のキャッチフレーズが横行したあの頃、我々は、不採算商品を切り捨てた。そして高採算の商品を伸ばし、選択して今日に至っています。災害で全く売れなくなった、原子力と他社との競争で
大きな悩みを感じるこの頃であります。低価格競争の渦に巻き込まれていった半導体とかパソコンを選択した東芝はこの”選択と集中を”誤った上に、さらに粉飾決算という二重の過ちを犯しました。
これからの動きに注目していきたいと思います。
  


Posted by TAC at 18:05Comments(0)社会事故・事件

2015年07月03日

コタ・キタバルでの一日

2015-7-3(金) コタ キタバルの朝は涼しかった。午前8時に、朝食を食べに桟橋に出かけました。まずまずの朝飯を済ませた後、今日は近くの小島の海に潜ろうと計画しました。

桟橋のN0 8のチケット売り場が、そのツアーである事をあらかじめホテルで聞いておきました。しかし、チケット売り場の奥にある旅行代理店の男性から”日本人ですか?”とかなりネイティブに近い日本語で声をかけられました。日本人に会う事も全くなかったし、日本語を使わないこの2日間でしたので、自然に親しみが沸いてきて、彼と話しました。なんでも日本の名古屋に2年間、滞在していたとの事でした。彼から、沖ノ島々の特長とか値段などを聞いて、3個ある島から2個を選択して、出かける事にしました。ライフジャケットなどは、別料金でした。ツアー代金を支払って、たまたま一緒に行くマレーシアの若者5名と一緒に行く事になりました。船たちは競うように、次から次へとお客さんを乗せて出航していきました。我々の船はまだのようであります。
そして準備万端、船を待っていますと、遠くからにわかに黒い雲が近づいてきました。そして、見る見るうちに、波が高くなり、桟橋の大きな屋根には雨の音が激しく、さらに風がとても強く吹いてきました。まるで小型の台風みたいでした。数分前に出航した船が慌てて桟橋に戻ってきました。乗っている客は皆、ずぶぬれであります。出航しなくてよかったな、と思いました。
これでは、海は無理だとの判断で、急遽中止にしました。例の代理店の男はいやな顔ひとつしないで、すべての料金を返却してくれました。良心的な対応で、マレーシア人を見直しました。

仕方がないのでホテルに戻って休養にしましたが、途中、樹木がボキリと、今回の風で折れていましたので、海に出たら、とんでもない事故になっていたかも知れません。

午後から、市内を散策しながら、空港の北側にある、サンセットの美しいビーチに行ってみました。
嵐が過ぎた後でしたので、海は荒れていました。
それでも数人の観光客は泳いでいましたが、私はビールを飲みながら、うとうとと昼寝をして、時間をつぶしました。生きていて良かったですね。
きれいな夕方の時間をたっぷりと味わいながら、今日はついていなかったな?と感じながら、もし早めの出航で、島に渡っていたらと思うと ぞっと しながら 夕日を眺めていました。誰か今回の嵐で事故に巻き込まれていたかもしれませんが、昼寝を堪能いたしました。明日はキタバル山の公園に行きます。ここは世界遺産に指定されています。6月には地震でキタバル山の山中で多くの人が亡くなりました。確か日本人もお亡くなりになっていました。
  


Posted by TAC at 22:57Comments(0)旅日記

2015年05月19日

航空機元年

航空機元年に思う
今年は、三菱とホンダが新しい航空機を世に送り出す年になっています。非常に楽しみなのであります。そもそも、航空機はわが日本の特技の一つでした。私もゼロ戦のエンジンの製作を担当していた工場に就職できた喜びを心のどこかに抱いていました。また転勤先の千葉県の工場の通路が終戦当時の航空母艦の滑走路にみたてて活用していたとお聞きした時には、何か身体の中に稲妻が走る気持ちがありました。確かに工場は小高い丘の上の居あったので、短い通路を飛び立ってすぐに断崖絶壁で平野になっている姿は格好の航空母艦の擬似滑走路になっていました。航空機は多くの産業の集大成であります。
その航空機産業をご案内のように米国の戦後の政策により根底からつぶされましたが、わが日本には脈々と、この技術は受け継がれてきたのであります。私が入社した時、コンプレッサーの各部品の検査方法は、まさにゼロ戦のエンジンの測定技術のまま実行されていましたし、各所にその残像が存在していました。
そのような中で三菱とホンダが世界の航空機産業に打って出てくれる事についてうれしく思います。
三菱は現在、型式検査の受検に苦慮しているみたいですが、がんばってほしいですね。私も電気製品の型式検査は何度も受検いたしました。電気製品と航空機では比べる事がナンセンスとは思いますが、日本の国土交通省と連絡を密にして、一日も早く世に出して欲しいものです。またホンダの飛行機のようにエンジンが主翼の上に設置されている構造は、今までの航空機の歴史にはない初めての構造ですので、注目されています。これまた世界の空に一日も早いデビューを待っているものであります。
高いエンジン加工技術、高度な空力気流分析、軽くて丈夫な機体材料、高度な制御技術、世界最高水準のジャイロ技術など、他国には真似の出来ない各種の基本技術が日本にはありますので、大変楽しみであります。
  


Posted by TAC at 14:56Comments(0)社会事故・事件

2015年04月14日

福島第一原発の事故調査用ロボットの故障について


福島第一原発1号機の格納容器の内部で、先週、調査用のロボットが動かなくなった問題で、東京電力はロボットの回収を断念し、13日午前にも外部とつながるロボットのケーブルを切断すると発表しました。

これで何度目なのでしょうか?ロボットの失敗は。
推定原因ですが、通信用のケーブルが何かに突っかかり動けなくなったか、キャタピラーが空回りしているみたいなので、想定範囲外のスパンの大きな凹みがあり、キャタピラーが作動しなくなったのではないでしょうか?
これらは明らかに、信頼性設計、バックアップ設計のミスであります。補助駆動装置として、キャタピラーが不作動の時に、それを補佐する伸縮自在な補助脚を内部に持っているべきです。また、通信線が引っかかった時の為に、本体を前後左右に数十センチ動かせる装置をつけておくべきであります。

私は今から7年前にフィリピンのセブ島(実際はマクタン島)の沖合いで、スキューバダイビングをしていました。そこでゼロ戦の残骸を見つけました。パートナーとインストラクターが、離れたところで何かもたもたしているので、一人でゼロ戦の運転席に入ってみました。そこで、当時のパイロットの気分を味わって、いざ操縦席から這い出ようとすると、ボンベのレギュレータのところが操縦席の上部の突起物にはまり込んで動けなくなったのであります。
非常に慌てましたが、どうしても外れません。必死にもがいたのですがだめでした。ここで死ぬのかと覚悟をした時に、思い切って足を頭の上まで振り上げて、操縦席のメーター類の枠の部分を思い切って蹴り上げてみました。すると、引っかかっていた部分が外れて、無事に元に戻れたのであります。
このように、アクシデントがあった場合の脱出の補助が出来るものを持ち合わせないといけないのではないでしょうか?特に放射線線量が異常に多い箇所なのですからなおさらであります。

でも、失敗は成功の元、これからの肝心な作業にはこの経験が生かされるでしょう。また遅れているロボット工学が今回の原発事故で飛躍的に発展する事でしょう。
がんばれ、ニッポン!
  


Posted by TAC at 00:45Comments(0)社会事故・事件

2015年04月13日

部下からの電話

先日、家でくつろいでいると、携帯電話が鳴りました。私がIT事業に手を染め始めたときの女性の総合職である昔の部下からであります。なんでも今、品川で飲んでいるのですが、飲み相手が、たまたま私を知っていて(彼は私の一番弟子と自称していたそうです)なんで御互い、この私を知っているのか?という事に相成ったのだそうです。その飲み相手は品川の営業所の所長として赴任した、営業マンで、いくつかの転勤を経験した後、ITには無関係の履歴を持って、ここ品川に赴任したのでした。
全く異なる職場ですが、たまたま同じビルの中に職場を持つ管理職同士が、お近づきに飲み会をした時に、私の名前が出たので、びっくりして、そのまま、電話をよこしたのでした。彼女とは7年ぶり、彼とは30年ぶりくらいに話をしました。
私は入社以来15の課を経験しました。なぜか知りませんが、多くの商品群を担当いたしました。圧縮機、冷蔵庫、新幹線列車冷房、クリーンレンジ、深夜温水器、ウオータークーラー、電子レンジ、原子力発電所の放射能測定装置、棺おけ冷蔵庫、ルームエアコン、パッケージエアコン、チラー、ショーケース、光ディスク、見積もりシステム、承認図印刷、各種システム開発、などなど、これも営業担当なら理解していただけるかもしれませんが、私は技術屋で、これらの商品の開発が主担当なのです。彼は私が冷蔵庫の開発担当時代の後輩です。彼女は各種のシステムソフトを開発し始めたときに知り合いました。従って、御互い全く異なる畑で活躍し、たまたま同じビルの中で働く事になったのであります。そして御互いの共通の先輩の名前として私が出てきましたので”なんで知っているの?”と言う事になったようです。
でもうれしいものですね。後輩から電話をもらえる事は、・・・・。久しぶりの声を聞いて、たまには東京で飲みましょうか。と言う事になりまして、4月上旬に久しぶりに現役時代の東京本社に出向きました。
すると、多くの社員の中でこの二人以外に、男3名女3名の社員が私に声をかけてくれました。15年位前の働く仲間たちであります。中には工場から東京へ転勤した社員もいましたが、皆、私の顔を見ると、近寄ってきてくれました。私を知らない社員は、この人はどんな人なのでしょうという顔をしてみていました。今ではセキュリティがしっかりしていますので、通常外来者は入館出来ないのですが、私は、何のこだわりもなく、各ディビジョンの机に挨拶して廻れましたので・・・・・、たぶん、このような事をするOB社員はいないと思われます。
定時後に久しぶりに飲んだ席では15年から30年位前までの思い出話に花が咲きましたし、今になって、あの時の本部長の動きが理解できたり、本社の裏舞台での葛藤が手の取るように理解できた事もありました。
また、東京に出て来た時には、是非とも立ち寄ってくださいと言って分かれましたが、世辞でもうれしいですね。翌日、東京の桜の名所をいくつか廻って、帰りの新幹線では、悠々自適の今の自分に、なぜか、ほめてやりたい気分になって窓を眺めていました
  


Posted by TAC at 10:08Comments(0)生活情報

2015年02月01日

バンコクのタリンチャン水上マーケット

1月12日に日本を出国して、バンコク、アユタヤ、スコータイ、チェンマイ、ホアヒンと廻って来ました。その都度、写真撮影とかゴルフに興じて多いに楽しんでいます。そして今、またバンコクに戻って参りました。そしてあと10日間遊んでから帰国の予定です。
今日はたまたま休養日で友人たちはホテルで寝ています。
伊勢丹前
この写真は伊勢丹前です。数年前のデモの名残がわずかに残っていますね。

まず、伊勢丹の前まで行って、そこから79番のバスに乗ります。乗るとすぐに車掌が近寄ってきますので、”パイ トラートナム タリンチャン”と言うと、18バーツですと答えが返ってきました。当然ネイティブなタイ語なのでよく聞いていないと聞き落としますが、理解は出来ました。
そして乗車約25分でタリンチャンの水上マーケットに到着です。
石碑


この石碑がT字交差点の突き当りですので、これが見えたら降りてください。





ここは珍しく79番のバスがT字型の交差点を右に曲がるところです。正面に大きな石碑はありますので、これが見えたら、降りればいいです。
ここから市場が始まっています。花とか果物、雑貨、各種の食べ物がところ狭しと並んでいる屋台の群れが並んでいます。









この屋台の並びを過ぎますと水上マーケットなのですが、この右側に水上マーケットめぐりの船旅のチケットを売っています。99バーツでした。11時発のチケットを買い込んで、ぶらぶらと市場を散策しました。
そして2時間半の船旅を楽しんでまいりました。特に目新しいものはありませんが、一般の観光客が来ない、タイ人の休日のための水上マーケットなので、ものすごくローカル色たっぷりであります。
昼食に、えび焼き、貝のあぶり、コームーヤーン(豚ののど肉の炒め物)を頼んでみましたが、いずれもおいしかった。最後に歩きながら屋台あるマンゴー1個を30バーツで買って、切ってもらい、歩きながらのデザートでした。
楽しい休日でした。
最後に写真を載せて置きます。










  


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2015年01月08日

マクドナルドの異物混入に思う。


これだけの異物が混入されていることが発覚したのに、会社幹部の謝罪会見は評判の悪い結果に終わりましたね。
対応への悪さはもちろん、今後、再発を絶対させないで生産販売する体制の説明はなっていない。これで、今後、日本ではマックを買う顧客は大幅に減るであろうと思われます。

私はこのようなマックとかKFCの食物は一切食べません。理由は、カロリーが高すぎるため、血糖値があがるのです。それに、日本食に慣れている舌は、この脂っこい、のどが渇くような味は体が受け付けないのであります。
若い頃、クウエイトに出張した時のことでしたが、仕事に夢中になり、昼食時間が取れなくなったことがありました。その時、現地の営業部長が、人数分のマクドナルドのビッグマックを2個づつ買ってきてくれました。ありがたいことですが、私は口にしませんでした。すると、その営業部長は”私を気に入らないから、私の買ってきたものを食べないのだろう”と言われたことがありました。”そんなことは無い。ただ単純に好きではないだけだ”と私は主張しましたが、気まずい雰囲気になったことを今でも覚えています。
なぜ、多くの人は、このファーストフードが好きなのでしょうね。
でも、日本では、今回の事故で好きそいう人が減ることは間違いないでしょう。

余談ですが、マックドナルド、マックドウエル、マックイーン、マッケンジーなど、多くの名前を耳にしていると思いますが、このマック(MAC)という名前の意味は”息子”いわゆるジュニアーのことなのです。父親が息子が生まれた時に、自分自身の名前の先頭にマックとつけて、その子の名前にする事がアメリカではよくあることなのだそうです。
  


Posted by TAC at 08:48Comments(1)

2014年11月22日

沖縄旅行

昨日、5日間の沖縄旅行から帰宅しました。



名門コースでの2ラウンドのゴルフ、9つの世界遺産と美ら水族館に行ってきました。沖縄の歴史を学びながら、4人の楽しい旅でした。



ゴルフ場ではものすごい強風の洗礼を受けましたし、難しいグリーンの芽にも泣かされましたが、名門コースの良さも分かりました。何よりもその景色の素晴らしさは、さすがでした。




世界遺産も首里城を初め、9つの全てをまわりました。



とても良い、古希の思い出の旅となりましあt.


  


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2014年11月12日

通院の一コマ

今日は定期の通院の日です、予約は正午丁度ですが、いつも血液検査があります。
これが、時間がかかります。
私は、この血液の採集を早めに実施して、診察券を外来に提出してから、外出します。そして宝くじを購入してから、ネットカフェ〔寫眞〕で正午まで時間を潰してから診察します。
この糖尿病と言われてすでに25年が過ぎました。Hba1cの基準値が変わりましたが、一向に改善が見られません。と言っても、基準値の上下を行き来しているくらいの悪さです。25年前の体重からは信じられないくらい、減量しています。7Kgは下がっていますが、それでも、治りません。
まあ、気長に付き合いますが、もう通常の寿命を終わる年齢に突入しました。

外はどんよりとした曇り空です。でも秋本番で、静岡市の樹木に認定されている“ハナミズキ”が、その紅葉の役目を終わって、落ち葉になりかかっています。


  


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2014年10月20日

ゴルフの飛距離減少への改善

古希を過ぎて、体が硬くなってきただけでなく、握力、背筋力など、筋肉の力の衰えは隠しようもない、しかも、この頃、ドライバーが距離が出にくくなっているだけでなく、ワンラウンドで2回位、右に曲がっているのが気になっていました。
そこで、先日、ゴルフショップに出かけてヘッドスピード(HS)を計りながら、最も私にマッチしているドライバーは、テーラメイドのR2グレードのシャフトで10.5度のものを盛んに奨められました。
私は現在、ゼクシオのSRグレードで、9,5度を使っています。
でもHSを測定しますと、SRではフェースが元の位置に戻りにくいのだそうです。それだけ、筋力が衰えたのであります。
私は、思い切ってR2グレードのほうが良いと思うと主張しましたが、店員さんは、そこまで落とさなくても、Rでいけますよと言ってくれました。R2まで落とさなくても良いと言うのであります。
私は店員さんの主張を丁寧にお断りして、なんとか元のSRのシャフトが触れるスピードまで戻せないかと考えました。すでに心はドライバーを新品に買い換えたくて、私のパソコンのオークションには数本のドライバーがウォッチリストに収納されています。つまり、購入する寸前であります。
私は、このHSスピード測定時に、ボールを視界から見えないくらいテークバックで肩を回すと、かなり良いスピードが得られたことに注目しました。
あれ、飛距離もHSもテークバックで全然違う値がでるな、と確認して、そう言えば若い時には、もう少し、肩とか腰が回っていた事を思い出しました。
購入する寸前のパソコンを、そのままにして、飛び込みで、ホームコースの一つに行ってみました。明日から木曜日まで天気予報では雨ですので、本日、確かめるしかありませんでした。
予め電話で、フロントに、突然ですが、誰か私と一緒にラウンドしてくれる人がいたら、お願いしてくれと、連絡して1時間後にゴルフ場に出かけてみました。
残念ですが、私とご一緒していただける人はいませんでしたので、仕方がないので、薄暮プレーでもして帰ろうかと思いました。
すると、フロントの担当者が、お一人で回られますか?と言うではないか。
私は、もちろん、回るよ、と言って、支度にかかりました。一人で回れれば、ドライバーの試し打ちがかなり出来ると、張り切りました。
雨が今にも振りそうですが降りませんでした。富士山は全く姿を見せませんでしたが、気持よく一人でラウンド出来ました。
ラウンド後、以下の様な結論を得ました。
1. 今までよりも、力を抜いて、ゆっくりとしたテークバックで、ボールが私の左の肩と肘の中間に隠れるまで回すことを心がけた。
2. ストロンググリップを数ミリ強くすると良い。(薬指の根本のコブがはっきりと見えるまで回した)
3. 出来るだけ、フェース面をアッパーブローに当てるように心がけた。しかし無理に打ってはいけません。あくまでも自然体で、アッパーに!
4. テークバックで力を抜けば抜くほど、ボールにフェースが当たる瞬間のHSが増すように感じた。
5. 今までよりも明らかに距離が伸びた。それも、20ヤード位伸びていた。
6. さらに右に、曲がるボールは1球もなかった。3球づつ、各ホールで打ったので、
14x3=42球打ってみたので、かなりの確信が持てた。
7. 球筋がドロー系に変化した。スライスは無い。
8. 当分、SRのシャフトで、この打ち方をしてみる。

かなりの確率で、この飛距離ならまだ、戦えます。
新品のドライバーの購入を止めました。
帰宅して、パソコンのウォッチリストを消去して、現在のドライバーであと数年頑張る決意をしました。
今度のラウンドは、22日の水曜日だけれども、天気予報は雨である事が気がかりです。
  


Posted by TAC at 20:50Comments(0)ゴルフ

2014年10月06日

香港のデモに思う

香港のデモに思う
いつか、この矛盾は、どうしようもない動きになると確信していました一国二制度が崩壊しつつあります。あの天安門事件の発生する数年前に、上海に日本企業として、最も早く進出したものの一つとして電気冷蔵庫の工場を建設致しました。
あの頃は、中国には何もありませんでした。あるものは人、人、人の波でした。中国人はなんでも欲しがりました。者不足の中国の人々は日本に対して、とても有難がって、私に向かって“先生、先生”と敬う態度で接したものであります。なんとレジ袋をくれてあげるととても喜んだのであります。手に持って物を入れる袋がなかった時代でした。苦労の末、近代的な量産工場を立ち上げ、私としましては日中友好の証の一つと思ったのでしたが、その後の、天安門事件の勃発と日本の経済援助とかODAの援助(なんと今でも継続していますが)について、謝謝、謝謝と言いながら、喉元を過ぎますとすっかりと忘れ去って、反日の旗印を全面に出してくる中国には、もううんざりであります。あの天安門事件後の、中国共産党の指導部の一国二制度の採用により、ある程度、許されていた自治に対して、民衆の特に若者がその矛盾に目覚めて立ち上がった今回の活動を高く評価したいと思います。
でも、この運動が、どうも統制が取れていないように見える点が心配です。中国共産党が、この事件をどのように対応していくのか見ものであります。たまたま、海に面し、元々情報のインフラが発達し、ごまかしようがない香港で発生したので、情報が漏れていますが、実際には、新疆ウイグル自治区でも、同じような大きな運動とかトラブルがあって、中央政府が押さえ込んでいるようなニュースが漏れ伝わってきています。中国経済とか体制が崩壊していくトリガーになるような気がしています。
香港の若人、頑張ってほしいと祈っています。今、最も注目している事件であります。
  


Posted by TAC at 05:59Comments(0)社会事故・事件

2014年10月01日

50週年を迎えた東海道新幹線に思う

・ 東海道新幹線の列車冷房(1964年 昭和39年10月開通)
0系新幹線が2012年10月限りで引退となりました。実はこの車両の列車冷房は私が会社に入って担当した仕事でありました。もう50年も前の話であります。当時の列車冷房は、床下に設置するのが一般的な時代でした。特急“あさかぜ”とか“富士”“はやぶさ”などがそれであります。これも靜岡で作ったのだそうです。それを当時の国鉄さんの設計で天井に据え付けたのであります。今で言うカセット型のエアコンでありました。この車両は全ての点で最新技術を駆使しました。最新技術というものはすばらしい事は勿論なのですが、今で言う信頼性という点では手探りの状態である技術も数多くありました。
私も会社に入って2年目でしたし、東京オリンピックに向け、日本全国がその準備に必死に燃え上がっている時代でした。1964年(昭和39年)であります。

今まで、新幹線は大きな事故が無い事で世界的に有名な事になっていますが、今から思いますと、内部の運営は火の車でした。綱渡りと言うか、背水の陣というか、国鉄さんとメーカの意地と信頼を掛けた、必死のメンテナンス体制が功を奏したと思います。

私の知っている事故は、車両のスカート部分の薄利、パンタグラフの異常磨耗、メインモータのブラシの異常磨耗、そしてエアコンの事故なのでした。これらが表面化しなかったのは、国鉄さんの細かなメンテナンス体制がしっかりしていた事、そして損得を抜きにして各メーカがこのメンテナンスシステムの万全の協力を惜しみなくした結果だと思います。

私は当時の新幹線基地(京都の鳥飼と東京の品川)に入りびたりでした。特に品川基地には泊り込みで張り付きました。

会社に対しては私の技術の低さに対する、お詫びと言うものを幾ら言っても言い過ぎることはないと思います。当時、私のミスで圧縮機のモータの中でレアーショートしてしまう事が発覚しました。冷蔵庫の不良が落ち着きましたので、この新幹線の列車の模型を工場の中に作り、そこで列車冷房の実験をしていた時に、事故は起こりました。急に空調が止まってしまったのであります。原因はレアーショートでした。報告書はしっかりと現象のみを書いて、原因とか対策までは書けませんでした。どうするでもなく、また実験を続けていました。自分では原因追求までたどれなかったのであります。

そんなレベルの技術屋に、その新幹線の列車冷房を任されたのでした。でも工業高校出たての若い技術屋には荷が重過ぎました。
失敗に告ぐ失敗に気がつかないで、そのまま時間だけが過ぎていった1964年でした。失敗が失敗と分からないから、5月の連休には尾瀬にハイキングに行って遊んでいました。でも帰ってきたら社内は大パニックになっていました。新幹線は全ての機能が完全に動作する事が前提であります。つまり何か故障すると自動的に新幹線は停車するように設計されています。従って空調機が故障しても新幹線が自動的に停車するのです。
停車すれば安全ですが、オリンピックの運営には大きな支障が出るのであります。
つまり“オリンピックをぶっ潰す”事になるのであります。
10月1日が開通日でしたが、その発覚が5月連休中でした。
対策会議が全社をあげて実施され、多くの事故原因の一つ一つに対して、2重3重の対策を実施し、すでに納めた全てのエアコンを10月1日までに全て交換したのでした。19歳の若さで品川の基地に20人くらいの労務者を雇い作業を指示して、旧型を下ろして対策品を据え付けていく私でした。こんな事を今の19歳の社員がする事は無いでしょうし、出来ないと思われました。当時の高校卒の社員はこのくらいの権限と責任感を持って仕事をしていたのであります。

それまで収めたすべての空調機を交換し、それも特別仕様のものに交換して絶対に故障の出ないものにする事でした。しかも納期的には5月から7月末までに全てを完納する計画でした。故障が絶対に出ない空調機に仕上げた新しい空調機を連日の徹夜で仕上げて納品しました。そして毎日のようにテスト運行に立ち会いました。
パンタグラフが吹っ飛び、メインモータのブラシが異常磨耗した新幹線は10月1日に開通しました。(これらは全て開通後に徐々に改善して今では完璧です)対策品は、当然短納期ですから、今では考えられないような勤務体制で乗り切りました。国鉄さんの担当者から”君は東京オリンピックをぶっ潰すつもりか”とお叱りをいただいた事を昨日のように覚えています。
まさに、もしこの対策品がまたレアーショートしたら、新幹線は停止(実は事故を起こすと新幹線は自動的に停止するシステムになっています。これも三菱電機の製品であります)するだけでなく、東京オリンピックの運営の一部が不可能であったと思われます。




交換した新型はその後、全く無事故で今でも活躍しています。さすがだなと先輩方の力の凄さをまざまざと見せ付けられたものであります。

我々だけでなく多くのメーカが毎晩のように新幹線の基地内のメーカ詰め所で、毎晩のように、何らかの工事をしていました。メーカの人間も、最初は、よそよそしいのですが、そのうちに慣れてきてお互い話し合うようにもなりました。

車両メーカ、パンダグラフメーカ、電気メーカ、塗装メーカ、溶接屋さん、などなど、本当に皆様、当時の日本の最先端の技術を持っている会社さんばかりでしたが、これらの方の並々ならない苦労が今でも忘れられません。

この頃、新幹線の列車冷房の機械の一部がこの静岡市で生まれていた事は、あまり知られていませんので、ここに御披露する次第です。正しく言うとモーターは名古屋で生産し、それを使って圧縮機の製作を静岡で実施しました。この圧縮機を長崎にて新幹線用の列車冷房装置に組み立てていたのであります。しかし事故を起こしてしまいましたので、それでは間に合いませんでした。そこで静岡にて列車冷房装置を製作したのであります。
蛇足ですが、戦時中は、戦闘機のエンジンがこの静岡市で作られていた事も知られていませんが、私の入社した時にはこのエンジンの試験塔が2基、工場の隅に存在していた事を覚えています。現在公開されている“風立ちぬ”というアニメの中に出てくるエンジンもここ静岡で作られた物かもしれません。
ゼロ系の新幹線があるから今の新幹線があります。本当にご苦労様でした。埼玉の鉄道博物館に展示されているこの車両と冷房装置を見に行って来ましたが感無量でありました。私がいなければ、オリンピックは出来なかった・・・?
私の担当した空調機は開通以後は順調に動作し、故障は皆無でした。
忘れられない東京オリンピックの舞台裏であります。
今回の2020年東京オリンピックでも舞台裏では、苦労しているであろう技術屋がいる事を想定している私であります。

このような苦労が今では実を結び、世界の列車冷房技術は弊社が強い指導力と市場占有率を持っていることとなりました。
  


Posted by TAC at 06:19Comments(0)社会事故・事件

2014年09月30日

YOU TUBEのアジア大会の知られざる情報

1. 焼き肉の国というのに、選手村の食堂にステーキがない。理由は仁川市の財政が悪いため、もぅ直ぐ潰れるかもと言われています。韓国で最も財政事情が悪い都市であります。
2. 開会式の最終ランナーは女優、その他韓流スターの総動員、スポーツの祭典に芸能人の総出演は初めて、芸能界の宣伝か?
3. 同じく開会式で仁川では韓国で初めて鉄道が開設されたと自慢しました。しかし、これは日本が敷設したもので、日本の宣伝になっていると京城では批判。
4. 聖火が12分間消えてしまった。原因はセンサーの故障と発表。どうも過熱防止センサーの特性が低すぎたようです。つまり製造時または設置時のミス。試行をしなかったのですね。
5. ビーチバレーの会場では、更衣室がないので、その場で隠れて水着に着替えざるを得ない選手たち。先日私達夫婦が訪れた屋久島の海中温泉と同じですね。
6. バトミントンの会場ではトイレの配管が正式に配管されていないために、糞尿が垂れ流しになってしまった。韓国の工事らしいですね。
7. バトミントンの試合中、韓国選手に有利に空調のSWを入れたり切ったりした。そもそもバトミントンの会場では地元靜岡では送風機を停止し、窓も密閉して行っていますけれど・・・。会場では停電が頻繁に起こり、そのために節電のためにSWを切ったり入れたりしたとの言い訳でした。
8. ボランティアを大量に採用した野球では、そのボランティアが、試合に使うボールに、サインをねだって、そのボールをそのまま持ち帰ってしまった。
9. また、大量に採用されたボランティアが待遇が悪いと急にやめてしまった。そもそも手弁当で奉仕の精神で実施するボランティアを理解していない。
10. 選手用とボランティア用の弁当が届かなかった。サルモネラ菌が入ってしまった為、そのため原を空かしたまま競技に出た選手がいるし、一部食中毒もあった。
11. 選手村の風呂の排水が悪くて使えなかった。

12. 多くの不具合で怒っている国が多いのですが中でも、韓国にとって最も友好国であるはずの中国からの批判が大きい。
13. こんな状態で2020年の平昌の冬季オリンピックは開催できるのでしょうか?今もって競技会場が出来上がっていませんし、建設予算も不足しているそうです。日本からの資金援助が便りでありますし、今までのソウル五輪とか、ワールドカップ共同開催の時、さらにウオンの悪化による経済危機などの時に、その都度、大量な資金援助をした日本から、また資金援助をしてもらう事は韓国にとって歴史的に見て当たり前なのでしょうね。舛添都知事は、日韓共同開催とか言って東京五輪と平昌の大会をくっつけようとしていますが、資金をだまし取られる事は過去の事柄から明白なのです。さらに平昌は降雪量が少ないことで有名なところだそうです。雪がなければ無理やり実施するだけで、莫大なお金が必要ですし、滑降競技などは危険です。日本は、関わると必ずその失敗の原因を日本が悪い、謝罪と賠償をせよと言ってくる国であるということを理解しなくてはいけません。都民の皆様、都知事のリコール運動をしてください。
  


Posted by TAC at 06:17Comments(0)社会事故・事件

2014年09月18日

スコットランドの独立選挙に思う



スコットランドの独立選挙に思う

今、スコットランドの選挙のことでメディアの注目が集まっています。ご存知かもしれませんが、日本で言うイギリスという国は、正式には英語でイングランドというのではなくUK(ユナイティド キングダム)と言う国です。つまり4カ国の連合国家なのです。
この国に行くと、連合国家という言葉がピッタリです。ユニオンジャックの国旗も4カ国の国旗を混ぜあわせた模様なのです。もしスコットランドが独立したら、新しい国旗から青い色がなくなるはずであります。

このスコットランドに長い休日を作って家内と旅したのは2003年の夏でしたからもう11年前の事になりました。http://tac.main.jp/ejin.html
この国に今から20年位前にエアコンの会社を作りましたので、この時の訪問を含めて3回、この国を訪れました。




この時には、エジンバラ城の勇姿を眺め、ゴルフ発祥の地であるセントアンドリュウスにも出かけました。http://tac.main.jp/sent.html
この国は、山がなく丘があるだけでした。また夏でも肌寒い日が続きました。今は地球温暖化の影響かも知れませんが、暑い日も少しはありますが、当時エアコンはこの国では全く売れませんでした。ヨーロッパと中近東向けに製造と販売をして今では大活躍している会社になりました。
この中心都市のエジンバラは、石の都みたいでした。エジンバラ城、ならびにロイヤルマイルを歩きますと、石で出来上がった遺跡群に出会えますし、中世の歴史を感じられます。たまたま開催していました、ミリタリータトウの大イベントは今でも脳裏に残っています。
http://tac.main.jp/tato.html
そうそう、このエジンバラにあのバーバリの本店?がありました。
私が訪問した時にも、イングランドとは違和感があるとの意見を幾人かから聞きました。
でも、グラスゴー近郊に原子力潜水艦の基地がありますし、もし、独立したらイングランドは困るでしょうね。
このスコットランドの沖合にある北海油田から上がる収益が見込めるので独立したいと思う人々が多いのでしょうね。
どのような結果になるのか、ここ数日が注目されます。


  


Posted by TAC at 06:27Comments(0)社会事故・事件

2014年09月13日

大道芸ワールドカップの前売り券発売開始

大道芸ワールドカップの前売り券の発売が11日から開始されました。
まあ、ゆっくりと予約を入れれば良いかなと思っていました。
そして12日になって、おもむろに予約のサイトを開いてびっくりしました。
なんと11月2日の日曜日の券は、もう満席でした。
しまった、こんなに人気があったのか、と思いましたが後の祭りでした。
仕方がなく11月1日と3日の席を確保しました。そして、本日、ファミリーマートまで出かけて、正式な入場券をGETしてきました。
皆様、お早めに手当をされてください。


  


Posted by TAC at 20:46Comments(0)静岡 NOW

2014年09月05日

朝日新聞報道に思う


私は朝日新聞を買わない、見ない、読まない、と心に決めました。もちろん、朝日TVも見ないで生きていこうと思います。こんなにでたらめな報道ばかりするのでは、信用が置けないからであります。もう朝日新聞は廃刊の始まりでしょう。

1. 8月5日の、いわゆる吉田清治の慰安婦関連の報道の誤報を認めたものの、謝罪が全くないばかりか、その本筋を切り替えた開き直り報道を許せない。
そればかりか、この誤報のために、誤解を受けた我が日本の国益を大きく損なっている事実を認識していないことに腹が立ちます。現に韓国政府はこの報道を根拠に、日本に謝罪と賠償を要求しているのであります。また国連でも、この報道によって、誤った決議がなされているのです。売国報道そのものです。
この誤報も1回だけでなく何度も連載した報道なのです。我が日本を陥れる為の報道であるのです。
2. 東京電力福島原子力発電所の吉田所長調書に対する誤報
吉田調書を入手して、その中身が、なんと所長の命令に背いて数百人が、逃げていたとの報道をしました。この報道も多くの関係者がおかしい、特に、もし逃げるのなら、もっと遠くに逃げなくてはならないのでおかしいと言っています。吉田さんと生前深い親交のあった著名人が、この報道は間違いであると言っています。現にこの逃げたと言われている東京電力の社員は、現在健在なのだから、直接数人に問いただせば、正しいことが直ぐにわかるはずなのに、朝日新聞はなぜ調べないのでしょう。
この報道で海外メディアは、逃げた日本人作業者 として間違った報道をしています。
本来は英雄であるべき日本の社員が非難されるのは、まさに売国であります。
この件は政府が近々、正式に発表するので、はっきりします。
3. 池上彰氏のコラム掲載の拒否とその対応
池上さんの長く続いているコラムについて先週掲載をやめてしまいました。理由は池上さんが朝日新聞の姿勢を避難したコラムの原稿を提出したからであります。
慰安婦報道で謝らないのは朝日新聞がおかしい。遅きに失したなどと書いたので、掲載しなかったと報道しています。昨日になって、また掲載を開始しますと言っていますが、この細かな経緯について何の説明もありません。
報道の自由を叫ぶ新聞が、他人が自分を避難する文は掲載させないとはおかしなことであります。池上さんも私と同じ意見であったわけであります。また、朝日新聞の現役社員の一部にもOB社員のコメントも現在の朝日新聞の対応が誤っていることを認めています。
4. 週刊新潮の広告掲載の語句塗りつぶし
なんと週刊新潮が朝日新聞に依頼した広告の掲載の中の一部の文字が黒く塗りつぶして掲載されました。
売国の朝日新聞  誤報の朝日新聞  この売国と誤報が塗りつぶされました。
自分に都合の悪い言葉は塗りつぶすというのですから、自由の報道ではありません。
まさに売国ですし、誤報だったのです。

これらを踏まえ、是非とも朝日新聞の責任者の国会証言を実現すべきと思います。
朝日新聞の報道はなぜ日本を貶める、売国報道が多いのでしょうか?
経営者の中に、韓国とか中国に有利なような報道を好む人はいませんか?日本を恨んでいる人がいるのではありませんか?
チャイナマネーとかコリアンマネーが流れこんでいるみたいに思えてなりません。
  


Posted by TAC at 09:48Comments(0)社会事故・事件

2014年08月28日

6歳の昊太郎君の質問

昨夜、横須賀の軍港めぐりから帰靜して。靜岡の街中にバスを降りました。
長男に電話しましたら、快く、迎えに行くからとの、返事がきまして、5分も待っていると車が参りました。
見ると助手席に、6歳なったばかりの昊太郎くんが座っていました。
私達夫婦が乗り込むと、直ぐ走りだした車の中で、の会話です。

“あれ、昊ちゃん、もうお風呂にはいったの?”
“もう入ったよ。ところで、じいじ、家まで送るけれど、いくらのTAXI代をくれるの?”と言ってきた。恐れいりますね。
“昊太郎くん、いくらにしてくれるの?”“お父さん、いくらにするの?”
“昊太郎くんが決めてご覧”と長男が言うと“それなら一万円”と言うではないか。
“高いので、まけてくれよ”と私が言うと、すこしばかりのやりとりの後に、5千円に決まりました。
そして、その後で、孫が言った言葉が面白かった。
“お父さん、TAXIはなぜバスよりも代金が高いの?”
“それはTAXIの方が専用で使うから高いのだよ、バスは多くのお客様が乗るので、ひとりひとりは安いのですよ”
“それなら、バスに一人で乗ると高いの?”
“一人乗っても、多くの人で乗っても同じ料金だよ”
“ふーん。おかしいね”
不思議そうに、問い正す孫と長男の、面白い会話を聞きながら家に到着しました。
  


Posted by TAC at 21:35Comments(0)孫 語録

2014年08月28日

ゲリラ豪雨、豪雨災害に思う

ゲリラ豪雨、豪雨災害に思う
福知山とか広島、礼文島などで、短時間による集中豪雨による災害が報じられている。各メディアでは異常気象とか、数十年に一度の珍しい現象みたいな報道をされています。
私は、この40年位の間に東南アジア各地を回っていました。そして、経験したことの一つに、この地方独特の雨の振り方の特異性を味わいました。
主としてゴルフをしている時に、にわかに黒い雲に覆われて、風がさあーと吹いてきます。まさにこの地方にしては心地の良い風なのです。ところがそれから10分後に、大粒の雨が降り出します。瞬く間に、今までプレイしていたフェアーウエーが水浸しになりゴルフどころではなくなります。足首くらい水に浸かってしまうくらいに直ぐになります。雨により視界はせいぜい50メートル位であります。仕方がないので近くの茶店で、ビールでも飲んで、もう帰るしか無いと思っていますと、30分位で雨が止んで、水が掃けてくるのです。
またフィリピンのセブ島からレイテ島への船旅の時に見たのですが、はるか水平線の彼方の一角に雨雲が見えまして、その下だけが、シャワーみたいに雨が集中的に降っているのが眺められました。わずか1km位の幅の範囲のみ、雨が集中的降っているのであります。その両側は、晴れていてとても美しい島影が見えているのであります。近くの船員さんにお聞きすると、このような光景はかなり頻繁に見ることが出来るのだそうです。
でも、これらの豪雨を地元の人は、特に集中豪雨とは言いませんし、なにも騒ぎません。ましてゲイラ豪雨などという固有名詞も使いません。つまり、雨季には珍しくない光景なのであります。
長い期間、なんとなく曇り空であることは今の日本の気候とそっくりであります。
私は、今の日本の気候が亜熱帯とか熱帯の気候にかなり近づいたものと思っています。従って、ゲリラ豪雨などという単語は使うべきではありません。このような短時間に狭い範囲に集中的に積乱雲が発達して大量の雨をふらせることは、珍しいことではない気象現象になっていると思われます。それを踏まえて、防災政策はもちろんのこと、急傾斜地の開発許認可は災害防止の見地から大幅に見なおすとともに、運用を至急変更させないと、とんでも無い事になると思います。
気候が大きく変化しています。
たまたま“デング熱”が日本において渡航経験しない人から発症したとのニュースが飛び込んできました。私の友人もバンコクで、デング熱にかかり、死に際をさまよいながら帰国した記憶もございますが、この媒介する蚊がなんと青森県まで、その住処の北限が来てしまったことが報道されました。もう日本は温帯地方に存在するのではなくなりました。
たまたま、先ほどのニュースでも、愛媛県のみかん農家が温暖化によって売上が落ちている反面、山形県がミカン栽培に乗り出して成功しそうだそうです。山形のさくらんぼも、色付きが悪くなって収益が落ちているそうですが、先日訪れた北海道の富良野で、そういえばさくらんぼを宣伝していました。
あと数年しますと、ほっかいどうのじゃがいも畑が、コシヒカリとか、ササニシキの栽培の田んぼに変わるのかもしれません。
私が若いころには北海道とかフランスとかイギリスではエアコンは全く売れませんでした。涼しいので不要でしたが、今では無くてはならない家電品になって、とても売れています。
大雨が、当たり前に降る国、ニッポンになりつつあります。この大雨を制御し、産業資源としてまた観光資源として活用する技術開発を期待しています。
  


Posted by TAC at 21:00Comments(0)社会事故・事件

2014年08月24日

ガラス絵

五條博子のガラス絵展に行ってきました。24日の日曜日でした。1周間実施した最終日でしたので、早めに行きました。とてもユニークなガラス絵でした。藤枝市のアートカゲヤマ様のギャラリーを借りきって開催していたみたいです。



このジャンルは日本では彼女のみが始めたもので、他の人が実行していません。でもとてもきれいなもので、各地の展覧会に出品していますし、先般フランスにて実施された日本を紹介する展覧会にも“アビとサビ”というコーナーに是非とも出品して欲しいと依頼されて、出品しています。





もし、関心の有る方は
http://item.rakuten.co.jp/rosefairy/014-36/
をクリックしてください。
または楽天のショッピングサイト http://www.rakuten.co.jp/ の中で“ガラス絵”と打ち込んで検索してください。
  


Posted by TAC at 20:21Comments(0)静岡 NOW

2014年08月24日

久しぶりに焼き肉

息子から、たまには焼き肉を食べたいとの電話がありました。23日の土曜日のディナーは京昌園で、豪華焼肉料理と致しました。次男夫婦と1歳4ヶ月の孫娘と私達夫婦です。




私はあまり焼き肉は食べませんし、石焼ビビンバと焼き野菜でした。それでもと思い、種類の異なる肉片を1個ずつ口に入れました。でも皆、美味しい美味しいと箸が進み、満腹して帰宅しました。孫の眞子ちゃんも良く食べてくれました。




  


Posted by TAC at 20:14Comments(0)生活情報